ダム建設の目的は治水と、首都圏への水供給!?

八ッ場ダムは、利根川中下流部の洪水被害を軽減することと、東京、埼玉、千葉、茨城、群馬の14県に合わせて122t/日の都市用水を供給することを目的として建設されることになっています。しかし、ダムの構想が浮上したのが半世紀前の1952年、現在のダム計画がほぼ出来たのが1965年頃で、もう、ひと昔前の計画です。

 その後、時代は変わり、ダムの必要性もダムに対する考え方も大きく変化しました。

 

 

 

 

 

 

 




ダムは群馬の景勝地を

湖底に沈めます。

 八ッ場ダムは、利根川の支流、吾妻川(あがつまがわ)の中流部に建設されます。ダムは「関東の耶馬渓」と称される美しい吾妻渓谷の大半を湖底に沈めてしまいます。吾妻渓谷は奇岩、怪岩が並び、四季それぞれに趣きのある自然を楽しめるところで、毎年、大勢の人々が散策を楽しんでいます。国の名勝・天然記念物にも指定されています。

 

 

すぐに埋まってしまう、何の役にも立たないダム。

 ダムは土砂の堆積でその機能が次第に小さくなっていくため、未来永劫使えるものではありません。八ッ場ダムの場合は、直近の下久保ダムの堆砂実績と中和生成物の流入量から計算すると、50年で夏期の利水容量は半減し、80年で埋まってしまいます。いずれは土砂で埋まり、機能を失うダムをつくって何の意味があるのでしょうか。

 

 

首都圏はすでに

水が余っています。

 首都圏の都市用水の需要は最近10年近くほぼ横ばいが続いています。今後は日本の総人口が2006年にピークを迎えるのに伴って、首都圏の人口も頭打ちになり、その後は少しずつ減っていきます。したがって、近い将来に水需要が横ばいから漸減傾向に変わることは必至です。

一方で水源開発が次々と行われたため、今は水余りの時代に入っているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

渇水時におけるダムの役割は大きくありません。


 渇水時には湖底があらわになったダム湖がマスコミで
報道されるため、渇水への恐怖心が煽られ、もっと沢山のダム建設が必要と思うかもしれませんが、それは間違いです。

 渇水時の川の流れを維持しているのは主に森林であって、ダムの役割は大きくありません。ダムを建設するよりも、保水力がより大きい広葉樹林を中心とした森林の整備に力を注ぐべきです。

 

 

 


   

 

強酸性河川の中和生成物の沈殿池も兼ねる八ッ場ダム。

 吾妻川は強酸性の河川です。硫黄鉱山の開発(今は廃鉱)と強酸性温泉の湯量の増大で昔より酸性度がひどくなったといわれています。1964年に草津温泉の下流に中和物を注入する工場と中和生成物を沈殿させる品木ダムがつくられました。それにより、流出硫酸の約半分が中和され、吾妻川中流のpH4レベルになっています。

しかし、品木ダムは中和生成物の堆積でその寿命はそう長くありません。八ッ場ダム自体が中和生成物の沈殿池を兼ねることは必至です。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

利根川水系の

治水にとっても不要です。

 利根川の治水計画は半世紀以上前、1947年のカスリ

ーン台風の大洪水を想定してつくられています。しかし、この大洪水は戦時中、山の木の乱伐がもたらしたもの。今では森林の生長とともに洪水の出方がずいぶんと小さくなりました。しかも、堤防の整備が進んだため、新たにダムをつくらなくても利根川が氾濫することはありません。

 

 

 

 

首都圏住民の税金も合わせて、総額5,000億円のムダ遣い。

八ッ場ダムの総事業費は、ダム建設の他に周辺整備等

の関連事業も含めると、約5000億円にもなると予想されま

す。この巨額の事業費は国税、各都県の地方税、各受水

予定者の水道料金で賄われます。私たちは税金や水道

料金の形でいつのまにこんなに巨額の事業費の負担を、

しかも、ムダな事業の負担を強いられつつあるのです。

 

東京都民のあなた_ 620億円

_ 利息も加えると 約940億円

千葉県民のあなた_ 370億円

_ 利息も加えると 約560億円

埼玉県民のあなた_ 700億円

_ 利息も加えると 約1,050億円

 

 

 

 

 

ダムの水より、地下水。

ダムの水よりも地下水を選びましょう。

 八ッ場ダムがもし完成すれば、東京都の多摩地域や千葉県の印旛地域などでは、今まで使っていた水道水源である地下水を河川水に切り替える計画になっています。

地下水は、美味しくて安全性が高く、飲料水としては最高の水源です。その地下水がダムの開発で得られた河川水に変わってしまうのです。

地盤沈下の沈静化で、

地下水転換の必要がなくなりました。

 ダム建設で代替水源を得て水道水源を地下水から河川水が切り替える計画が立てられたのは、昭和40年代でした。その頃は、地下水の過剰汲み上げで地下水位が大きく低下し、地盤沈下が急速に進行したため、その対策として水道水源の転換計画がつくられたのです。

 しかし、その後、地下水の汲み上げ規制が進められ、揚水量が大幅に減少しました。その結果、地下水位は回復し、地盤沈下は沈静化しました。今ではむしろ地下水位が上昇し過ぎて東京駅や上野駅の地下駅などでは重しを入れてようやくバランスを保っている状態です。いまや水道水源の地下水を転換する必要性は全くなくなっているのです。

 

 

 

 やんば

八ッ場ダムは由緒ある温泉街をズタズタにしてきました。

ダムのために苦痛の日々を送り、疲弊してきた五十年の歴史。

 

 八ッ場ダムの話が浮上したのが1952年、その後、吾妻川の酸性問題で一時立ち消えになりましたが、東京オリンピックがあった64年に中和工場が完成し、ダム問題が再燃しました。地元の人々は長い間、ダム反対の姿勢を堅持しました。しかし、それは精神的にも肉体的にも大変な苦痛を伴うものでした。ダム起業者の手段を選ばぬ切り崩しに対抗するため、対策会議と抗議行動に追われる日々が続きました。何をするにもダム問題が関係し、片時もダムのことが頭から離れることのない日を送ることを余儀なくされました。やがて、疲弊した人々はダム建設を容認せざるをえなくなりました。

 

 

 

  

社会資本の整備が停止される水没予定地。

 ダム水没予定地は基本的に社会資本の整備が停止されるため、生活の不便さが増大していきます。いずれは水没するのだから、整備をしてもムダになってしまうという理屈ですが、それは一方で、「ダムにいつまでも反対するから生活が不便になっていくのだ」と、予定地の人々をダム容認に変えるための恫喝の手段でもあるのです。八ッ場ダムの予定地も例外ではありません。

 このように水没予定地の人々は、ダム予定地に指定された時から長年にわたり、精神的にも経済的にも大きな損失を受けてきているのです。

 

  

 

●八ッ場ダム問題の歴史

_1952_ 5_ 長野原町長が建設省から八ッ場ダム調査の通知を受ける。

_ _ _その後、吾妻川が酸性河川のため、工事障害が予想され、ダム問題は中断。

_ 64_ 1_ 吾妻川に酸性中和工場が完成し、ダム問題が再燃。

_ 65_12_ 水没予定4地区で反対期成同盟が発足し、ダム反対運動を展開。

_ 85_11_ 長野原町長と群馬県知事が生活再建案についての覚書を締結。

_ 86_ 3_ 河川法に基づく河川予定地指定を建設省が告示。

_ 86_ 7_ 八ッ場ダム建設に関する基本計画が決定(完成予定は2000年度)。

_9299_ _ 用地補償調査。

_ 95_11_ 水源地域対策特別措置法に基づく八ッ場ダムの水源地域整備計画が決定。

_2001_ 6_ 長野原町の五地区連合補償交渉委員会と国土交通省が補償基準に調印。

_ _ _(個別補償交渉の開始)

_ 01_ 9_ 八ッ場ダムの完成予定年を2010年度に変更。

_ 02_ 2_ 吾妻町の岩橋地区連合補償交渉委員会が発足。

 

 

 

ダム計画中止後も予定地の生活再建を進めるための法律の制定を!

ダム計画中止に伴う生活再建支援法案

 ダム計画に翻弄され、将来の生活をダム後に託すことを余儀なくされた水没予定地の人々にとってダム計画の是非はあまりにも遅すぎた話です。この問題を克服してダムを中止させるためには、ダム計画中止後も生活再建の推進を可能にする法律の制定が必要です。その法律の具体案はすでに提案されています。

 ダム中止後の生活再建は、地元の県が責任をもって行うべきことであって、その費用は、予定地の人々を苦しめつづけてきたダム起業者と、ダム計画に乗った受水予定者が分担すべきです。